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安比高原の観光開発と自治体の苦悩2016年09月16日

不動の滝
安比高原の観光開発と自治体の苦悩
 昭和45年に発令された森林レク事業の構想により、林野庁は全国の国有林を対象に適地の選定を開始した。安代町を管轄する青森営林局では昭和46~47年にかけて八幡平地域の適地選定調査を行い、安代町議会は昭和47年3月に森林レク事業構想の報告があった。
 その後、この構想には国鉄、丸紅商事、日本交通公社が参入を希望していることが明らかになるとともに、全国10箇所の事業候補地の1つとして八幡平地域が選ばれた。この構想が明らかになることによって、安代町では開発計画がにわかに町議会の議論の中心となり、開発の機運は高まっていった。
 しかし、その後の5年間は具体的な計画の進展はなかった。議会より「(開発は)声ばかりで遅々として進まない」と指摘を受けた町長は、「総需要抑制政策のあおりを受けて予算請求が困難である」と報告している。その背景には、林野庁の財政赤字、政府の財源不足があったことは周知の通りである。
 地元自治体では民間資本の導入を期待していたことは伺えるが、事業(地域開発)をどのような組織体制で行うのかは検討されなかったのではないか。
 外部資本の受け入れについては過疎地域の貧しい財政事情から、開発を外部の資本の導入にすがるしかないことは容易に理解できよう。安代町の産業政策は林野庁の国有林経営の失敗により林業が衰退するに伴い。観光業に生き残りをかけて進路を見出すより他手立てがなかったのである。
 しかし、東北縦貫自動車道の開通までこの地域は資本経済のメカニズムに取り残され、それまでの企業の観光開発計画は構想の段階に止まり具体化を見るにいたらなかった。
 したがって、昭和50年に実施した町道整備(総延長6,128㎞、幅員8m、工事費3億3,600万円)の事業も「今年の事業として何も手をつけるものがない状況下で、折角国の予算がついたので(国の)補助を返上するわけには行かないので(道路整備を)やる」(安代町議事録、昭和50年9月16日)という補助金頼みの開発であった。
 とは言え、計画はここで始めて「森林レク」事業として正式にスタートをした。昭和51年2月には青森営林局、岩手県、安代町、盛岡鉄道管理局から委員が出て、「管理運営協議会」を発足させた。この間、町議会において外部資本の導入による観光開発の利益と自治体の公共性のマッチを期待して、多くの時間を割いて第三セクターについて議論している。それらの議論は、①第三セクターに含まれるものは何か、②また第三セクターの性格とは何であるか、③そして第三セクターを管理する管理運営協議会の性格とは何か、といった問題に整理される。
 これ等の問題は、第三セクターの設立を検討するに当たり、全国に先駆けた地域開発の事例として貴重であり、別の説で検証することにする。

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